人は皆が平等
少林寺拳法の創設のきっかけの一つでもある「正直者がバカを見ない世の中を作る」。
開祖のこの言葉に突き動かされて、幾人もの若者が少林寺拳法の門をくぐりました。簡単そうでこんなにも難しいことだとここへ来て痛切に感じることとなりました。一宮中部道院では大会の成績や技術面では確かに成長は目に見えていますが、創設時には、単独演武は大会なども含めて指導はあまりしませんでした。
競技という側面から見た場合、単独演武というのは一体いつからできたのか?私自身知りませんが、一宮中部道院では創設から数年間は着手しませんでした。
これは、少林寺拳法の特徴の一つでもある「組手主体」が見えにくかったに他なりません。
しかし、インターハイ競技になり、全国中学生大会、大学生の学生大会などの新しい風において、一人でも多くの拳士が大会に出やすくなるために必要なものであることは
理解しています。そして大きな問題としては、全国的に見ての拳士数の減少により、相対演武ができない点も重なっていると思われます。

「あの子と組むのが嫌」「あの子とは合わない」「相手の子が練習しないから」、だから単独演武でいいやというのは本当に大きな間違いです。
つりあう相手がいないから止む無く頑張っているのならばいざ知らず、十分な相手がいるのにこれでは話になりません。
「あの子が稽古に来ず、休みがちだから」・・・来てくれる努力は?また休んでいる子は相手の子が気にならないのか?

また本日の稽古でも先輩とかに教わったのなら、当たり前の合掌礼すら忘れているのではないか?仲が良いからまぁいいか?はありません。親しき仲にも礼儀ありです。
これは兄弟でも同じです。少しここら辺が欠けて来ているように感じます。少林寺拳法の合掌礼は「人は皆平等」を指しています。だから頭を下げることはしませんよね。これは仲良くて、上下の立場が関係ないと言っているのではありません。
お互いを「敬い合うこと」を指しているのです。
これからの稽古はもう一度原点に返ってやり直します。この文章を読んだ拳士は、再度自分を見つめ直し、新たな気持ちで稽古に励んでくれることを切に願います。

<法話映像>

VOL1:藤本凪拳士からの質問です。「時間の使い方について」

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<法話映像>

VOL1:藤本凪拳士からの質問です。
「時間の使い方について」

VOL2:藤本凪拳士からの質問です。
「人間関係にについて」

VOL3:大原琉愛拳士からの質問です。
「気持ちの保ち方について」

VOL4:番外編
「何だかなぁ?使い方が微妙?」