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愛知県少林寺拳法 西尾張地区理事、小教区長業務。永い間本当にお疲れ様でした。そして有難うございました。

このブログを書こうかどうか迷ったのですが、忘れたくないので備忘録として、そしていつでも出せるように敢えて記述させていただきました。

数年前より声がけいただき、「小牧市少林寺拳法大会」に見本演武の依頼が来て、毎年参加していた拳士はマックのクーポンをもらったりしたので記憶に新しいと思います。
また少林寺拳法愛知県大会や東海大会などを成功に導くための尽力や、我々一宮中部も参加させていただいている昇級試験の会場手配、試験官の手配など感謝してもしきれないほど努力し続けてくれた尾張小牧道院、正眼道院道院長の相谷先生が逝去されたました。

本当に色々話しました。どうすればこの少林寺拳法尾張地区が良くなるのか?
「お〜い北ちゃん」という声が私の脳裏から消えません。
定期的な電話もあり、「頼みがあるんだけど〜」という電話で、「嫌だね〜」と私が答えながらも、「他ならぬ相ちゃんの頼みであれば」といつもそんな会話がありました。
意見が割れて、言い合いしたこともありましたが、直ぐに仲直り。年齢は違えど、友人のように話していました。病気が発覚した際にも冗談混じりで電話をくれて、まさかこんなことになるなんて本当に悔しいです。

体調が厳しくて病院から自宅に移ってからも、所属拳士の笑顔を見るために、稽古に参加し、私たちの少林寺拳法愛知県の道院長会議にも尾張地区理事として参加されており、その活躍ぶりにはただ単に敬服するのみでした。きっと苦しかった部分もあったと今更ながら感じる私は、本当にダメなやつです。
「代わろうか?」の一言をなぜ言えなかったのか?
「尾張地区の先生方、集合してくださ〜い、北ちゃん、早く来いよ〜」と次回の会議でも声が聞こえている気がしてなりません。
苦しさに負けず、必死に頑張り、所属の子どもたちをどうすれば上手に出来るのか?愛知県や尾張地区がどうすればもっと良くなるのか?そんな思いをいつも話されていました。

日曜日の講習会で、尾張小牧道院の幹部拳士にお会いし、病状が思わしくないことを聞いた。
翌月曜日の早朝に訃報をもらい、あまりの悲しさに仕事が手につきませんでした。
あまりにショックで現実を受け入れられませんでした。

学校や職場での問題。毎日がつまらなく嘆くこともあると思います。私も当然あります。
本日の朝も起きてから、これは現実なのか?未だわからず朝の気分が全くすぐれません。
会社に向かう車中で、本日の曇り空を見ながら、私の気分は余計にすぐれない。
会社に到着後缶コーヒーを飲みながら空をもう一度見上げて見た。
この空は相谷先生が、必死に生き、掴みたかった空なのでは?と思い、今日を頑張って過ごそうと考えた。
思い出すと涙が出るので、仕事に没頭してみました。
お昼に昼食を買いに外へ出たら空は晴れていた。
「それでいいんだよ」と言われている気がした。

お〜い。そっちはどうなの?
一緒にまた稽古するにはもう少しかかるけど、そっちで開祖にあって新しい技を身につけておいてください。
「私が行ったら教えてね・・・」「北ちゃんは天国じゃないだろ?」なんて
自分の中でそんな風な会話をした気がした。

金剛禅は単なる哲学や理論にとどまらず、実生活の中で役立つ教えを重視します。身近な人の死に直面したとき、嘆きや悲しみを超えて「その人から何を学び、どう生きるか」を考える教えなのではないかと考える。
「死は人を成長させるきっかけである」と考え、「すべてのものは移り変わる」という無常の原理を重視し、感謝と学びの心を育てるものではないかと痛切に感じた。
過去や未来に囚われず、「今この瞬間」を全力で生きることを大切にし、死を恐れるということは未来への執着の一形態であり、そうした執着を手放すことで自由な生き方が可能になるということかと考えます。
「一瞬一瞬を全力で生きる」ことが、死の不安を超越するのでしょうね。

「人は自分ひとりでは生きていない」という連帯感や他者とのつながりを大切にし、死によって個人としての存在が終わっても、その影響や思いは他者に引き継がれていくという考え方を大切にし、これにより、自分の死を超えた視点で生き方を考えることができるのでは?
そうだとすれば「死」とは恐怖を回避すべきものではなく、自己成長の一部として捉えられと考えられる。死を意識することで、今この瞬間をより大切に生きる力が生まれ、また他者への感謝やつながりを深めるきっかけとなるのでは?
そんなことを考えさせてくれた相谷先生との別れ。
私も私自身に関わってくれる皆と共に頑張って、皆が今日見ている空は、相谷先生が必死に掴みたかった空であるということを忘れず、今できることを必死にやっていこうと考えていきます。

一宮中部道院の活動・活躍のファンでいてくれた相ちゃん。
ゆっくり休んでください。
またいつか一緒に・・・






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コメント

    • 中村康司
    • 2024.11.28

    相谷先生には大会準備などでお世話になっておりました。毎年お会いしていたのですが、今年はかなり痩せられていて体調を心配していました。しかし、振る舞いはいつもの元気な相谷先生だったので杞憂であったと思っていた矢先に、、、、。
    周りには気丈に振る舞っていたのでしょう。こういったところも相谷先生の人柄だったのかと思いました。

    ご冥福をお祈りいたします。

    • 中村さん

      コメント有難うございます。
      そうだね、中村さんがいつも相谷先生の県連での手伝いをしてくれていたおかげで
      また頑張ってくれたので毎年相谷先生からご指名が入っていたくらいですので
      本当に有難うございます。

      私では相谷先生の真似は恐らくできませんが、
      皆で頑張って行けたらと思います。

      これからもよろしくお願いします。

    • 米山 伸
    • 2024.11.28

    相谷先生、ご冥福をお祈りいたします。
    自分は直接お話しする機会はありませんでしたが、行事等で拝見してることと思います。

    身近で「死」と遭遇するたびに、自分は今を一生懸命生きてるだろうか?と自問自答してしまいます。
    そしてしばらくするとそのことを忘れ、また身近で起こる「死」で思い出す。その繰り返しが続いています。
    「死」によって自問自答の機会をいただいているのかもしれません。

    まわりの方々に助けられ生きているんだということを再認識し、金剛禅の教えを実行していきたいと思います。

    • 米山さん
      有難うございます。
      道院長は自分の家族との時間、道院の子どもたちを棲み分けていくのが本当に大変です。
      ましてや県連の役員などであれば尚更です。

      死との向き合い方や、自分がどう生きてきたのか?
      悲しみや悲嘆は誰でもあるのですが、皆がトレースしてくれるような人生を
      送れたら最高だと私は感じています。

      一緒に頑張りましょう!!

    • 竹山幸宏
    • 2024.11.28

    心よりご冥福をお祈りします。
    娘が初めて見本演武をさせていただいたのは相谷先生の元での小牧市少林寺拳法大会でした。
    あの時の学んだ事は娘の少林寺拳法を形作る上で貴重な経験だったと思います。娘が相谷先生から教えていただいた事を誰かにつないでくれることで、少しでも恩返しができればと思います。

    • 竹山様
      有難うございます。
      そうでしたね・・・本当に永く尾張小牧道院、並びに相谷先生と関わってきたんですよね。
      皆、あそこで見本をすることで度胸もつきましたよね・・・

      文章を書いた私も実のところ未だ吹っ切れていません。
      本当に寂しいです。

      相谷先生の意思・功績をどう繋げていくのか?
      一生懸命それをこなすことが、気持ちを吹っ切るのと相谷先生への
      感謝を示すことになるのだと思います。

      頑張りますのでこれからも応援よろしくお願いします。

    • 鬼頭由奈
    • 2024.11.28

    相谷先生の件、僕もとても悲しいです。
    僕も相谷先生の事を忘れません。相谷先生の事をちゃんと知りませんし、会ったことなどは数回程度ですが、すごく良くしてもらいました。だからこそ相谷先生には安らかに眠って欲しいです。
    相谷先生は、色々な人の心の中で生きていると思います。ずっと色々な人達の心の中で生き続けてください。

  1. 由奈
    コメント有難う!
    彼の優しさと厳しさを、一宮中部としても継承できればと思います。
    これからも色々変えていきたいと思いますのでよろしくお願いします。